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2016/1/29更新

2016新年対談

いよいよ 面白くなってきた
アンダークラスの視座から撃て(後編)

廣瀬 純 (龍谷大教授)×小泉 義之 (立命大教授)

新年対談の後編は、有産者と無産者の間に対決線を引けというところから始まる。

無産者の目で福祉権力を撃て、現代資本主義の奴隷化傾向に暴動で応えよ。フランス現代思想など、これまでの左翼の思想では分析できなくなった現状に介入する暴力的言説とは?

前 編

※ ※ ※

公租公課をタダにしろ!

編:民主的かどうか?独立なのか?という以外にも、運動のなかにはさまざまな分断線があります。しかし、勝つためには、敵が誰か?を明らかにすることが必要です。協同の原則や立ち位置についてどう考えられますか?

小泉:まず、安倍は、諸運動にとっての共通の敵ではないですよ。言わせていただくなら、多くの運動にとって大学人は敵です。われわれ2人は敵の一員です。敵を裏切った転向者です。そして、どこに対決線を引くかといえば、有産か無産かですね。有産者と無産者の対決線です。非正規労働者に月収20万円の壁があると言われますが、これは「格差」ではありません。「階級対立」であり「身分対立」です。絶対に超えられないんですから。老人の場合も、まともな老人ホームの入居費は月20万円以上です。年金と貯金を全部吸い取られる余裕のある層は長生きし、吸い取られる年金や貯金すらない奴は「早く死ね」ということです。これは敵と味方の分割です。20万円以下の奴は無産者、貧者であって、それ以上の奴とは敵対関係にあるということです。そういう目で情勢を分析すべきです。

実際、20万円以下の無産者が何に苦しんでいるのかといえば、公租公課です。税金とか年金とか医療保険とか社会保険とか公共料金です。あとは住宅費。だから、「公租公課をタダにしろ」と主張するべきです。公租公課は有産階級のためだけに使われているからです。貧困者は略奪されているのです。決して自分は享受できない有産者用のもののために収奪されているのです。ならば、それは拒め、早死に覚悟で拒め、早死にや孤独死の脅しに屈せずに、そこで敵対線を引け、と思うわけです。

20万円以下で一生暮らすことを運命付けられている人はたくさんいます。しかし、この層は絶対に多数派にはなりません。選挙にも行かないし、政党はそういう連中を代表しない。だからこそ、支配層は安心し切っているのです。だからこそ、安倍政権は怯えることなく堂々と左翼ポーズもとれるのです。このようなときにこそ、無産者の目から見て、たとえば労働法制はどう見えるのかと、問題を立てなおさなければいけないのです。渡り雇用の禁止といいますが、無産者から見たらどうなのでしょうか。その一方で、大学人やインテリは、無産者に再分配しましょうとか、ベーシック・インカムでバラまいてあげましょうと言っている。そんなものは、お上の発想ですよ。ぼくは有産者で敵階級の一員ですが、自分にできることとして、無産者の立場から捉えかえしたら事態はどう見えるのかということだけを、徹底的に考えようと思っています。

暴動が開く明るい未来

編:月20万円以下の層は、代表制のもとでは勝てないと。では、どうしたらいいですか。

小泉:暴動を起こせ、ということです。選挙では変わりません。世論で変わることでもない。「暴走老人」や「メンヘラ」も含め暴動にもいろいろなスタイルがありますが、そういう覚悟で運動を作らなきゃ変わらないということです。

廣瀬:オキュパイ・ウォールストリートでは「我々は99%だ」というのがスローガンになっていたけれど、たわごとを言うなということですよね。残りの1%なんか、どうでもいいのですから。

小泉:そう。1%の金持ちから資産を没収してバラまいたってどうにもなりません。ビル・ゲイツの資産なんか没収しろと思わないでもないですが、それをバラまいたって、貧困層にはびた一文にもなりません。問題は、99%の中にこそ階級対立があるということです。これは、ごく当たり前の話です。ただ、われわれがしばらく忘れていた話が、いまリアルになっているということです。

廣瀬:99%対1%ということが、あたかも階級対立であるかのように、経済的基底に根差して構想された敵対関係であるかのように語られたわけですが、経済闘争でも何でもないですよね。ズコッティ公園に集っていた連中自身、99という数字を100として語っていたわけですから。

小泉:「100人の村」と同じ類の童話です。あそこで発言していた人はほとんど有産階級ですよ。あれを敵として、少なくとも敵からの転向者としてみる見方がないと。安保法制反対運動だってそうです。

例えば、老人向けの産業って介護も含めて十何兆円という膨大なものです。高齢者介護とか高齢者福祉の業界に、若者や女性が低賃金の福祉労働者としてぶらさがるという構図ができあがっている。くっきりと世代対立・性対立があると思います。有産階級の老人層にすがって、国家奴隷や家僕として生きていくことを強いられているのです。屈辱的です。

だから、国家目標として平均寿命をこれから毎年半年ずつ減らしますって掲げてしかるべきだと思います。いまの日本人は長生きし過ぎです。精確に言いなおすと、病状によりますが、数カ月・数年単位で高齢者産業・医療産業のための資源としてだけ生き延びさせられている。事態はこうですから、貧困層はそれぐらいの要求をしていいんです。「お前らを無意味に長生きさせるために、われわれはこんな生活を強いられている」って言うべきです。福祉要求を取り下げなきゃダメですよ。いま以上の高齢者福祉・高齢者医療をというバカげたスローガンをどれだけ捨てられるかが今後の課題です。

社会保障費ってひとくくりに言いますよね。そのために消費税が必要だって言うわけです。それに対して、社会保障費の中身を批判的に分割して、どれが必要でどれが不必要かという議論をしなければ、消費税だけに反対したってダメなのは見えています。医療費にしても、ひとくくりにこれだけの額が必要ですっていう話をしてもダメなのです。しかも、貧困者は現実には高額の医療や福祉にかかれないんですから。

「ここに健康格差があります」って語りたがる連中はたくさんいますよ。でも、そういう連中は何の解決策も示していません。ところが、これは格差ではなくて、命の階級差です。身分差です。となると、先端医療に金を払いたいやつは払えばいい。市場化でよいのです。しかし、貧困層に最低限必要な医療はタダで給付すべきです。

そのとき、なにが最低限必要なのか腑分けしなければいけません。恐るべきことに、それを誰も真剣に考えていないのです。例えば、がん治療の中で何が本当に必要かということです。インフルエンザのワクチンなんて不要ですよ。ところが、左翼はそういうことを言ってこなかった。考えることすらしてこなかった。それを言いだすとネオリベに食い込まれるとか称して、社会福祉批判や医療批判をしてこなかった。要するに、自分の権益と特権を守りたいだけなのです。許しがたいと思っています。

貧困層は医療保険を払ったって全部没収されているわけです。自分のところには返ってこない。全部収奪されて高額医療などに使われている。社会保障費にしても、本当に役立つ介護なのかとか、どこに金を使っているのかとかを批判しなきゃ何も変わりません。ところが、それをやっている政党はひとつもない。今回の「リベラル懇話会」だって、そういうことに立ち入る連中じゃない。困ったことに、そういうことを多少なりとも言ってきたのは、ネオリベの一部です。人間はあまり長生きしても仕方がないというかたちで言ってきたわけですが、それも保守反動の一部にしかいない。

政策的な細部についての賛否はあるかと思いますが、大事なことは、貧困層の立場から見て、いまの医療や介護で何が必要なのかを腑分けしなければならないということです。そのためには選挙じゃダメです。いまのどの政党もダメですから。率直に言って、この問題を分かっているのは自民党の一部と官僚だけです。ついでに、インテリに分かりやすく言っておくと、フーコーの生政治批判とか生権力批判って、そういうことです。福祉権力批判です。

編:とにかく福祉を手厚くしろというのではなくて。

小泉:論外ですね。その程度のことは公明党に言わせておけばいい。福祉の党なんだから。一応、1960年代から70年代初にかけて左翼には福祉国家批判がありました。福祉国家というのは労働者をだます国家であるという批判でした。しかしいまは、労働者をだますためというより、アンダークラスを収奪するための国家になっています。もはや労働者本隊は、連合がそうであるように特権階級ですよ。既得権階級だし。

「奴隷」と「労働者」の間に分割線を引く

廣瀬:99%のただなかに階級分割を導入せよという小泉さんの話を、これまでのぼくの言葉遣いで言い換えれば、現状においてはまだ、資本によって、搾取し続けるために生かしておくべき「労働者」として扱われている者たちと、現状においてすでに、死ぬまで収奪し尽くすべき「奴隷」として扱われている者たちとのあいだに分割線を導入するという話になります。東京電力の労働者やその予備軍は現状の立場からは原発再稼働に賛成するのが当然だし、三菱重工業の労働者やその予備軍も現状の立場からは安保法制化に賛成して当然です。そうした労働者と予備軍とがそれでも原発再稼働や安保法制化に反対することができるとすれば、それは、彼らが奴隷性を彼ら自身のものとして認識するしかない。すなわち、奴隷化を今日の資本制システムにおける彼ら自身の「傾向」として把握するしかない。しかし、それは、ひょっとすると、原発再稼働や安保法制化という問題それ自体を通じて可能になるかもしれない。なぜなら、原発再稼働や安保法制化には一定程度の「死のリアリティ」が含まれており、この「死のリアリティ」が労働者の奴隷への自己同一化を許す回路として機能し得るはずだからです。労働者と奴隷とのあいだで生じる「わるい出会い」を「よい出会い」にそっくりそのまま転じるためには、労働者と奴隷とに共通するものについての観念形成が不可欠ですが、その観念、スピノザ用語で言えばその「共通概念」は奴隷という形象そのものに見出されるということです。しかし、そのためにはまず「わるい出会い」すなわち階級対立が、とりわけ労働者の側で、それとして自覚的に生きられる必要があります。

安保法反対運動があれだけ多くの参加者を得たのは、しかし、運動が参加の条件として人々に「わるい出会い」の自覚をいっさい求めなかったから、運動に参加する際に誰もあなたは労働者なんですかそれとも奴隷なんですかと問われなかったからです。オキュパイ・ウォールストリートの「我々は99%だ」と同じロジックで、階級的自覚を参加者にいっさい要求しない。そのことが動員の水準での運動の成功を導いたのだと思います。

エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフは、68年以後の運動の多様化を前にして「ラディカル・デモクラシー」というものを唱えました。多様化したアイデンティティに応じてフェミニズム、エコロジー、LGBTといったかたちで運動が拡散した。それでもなおそれらの運動をひとつにまとめ、統一的「人民」を構築しなければならないが、そのためには、もはや、経済的規定に基づいた「プロレタリア」「労働者階級」といった階級概念は役に立たない、むしろ正反対に、経済的規定をあえて積極的に避けた何らかの号令、「空虚なシニフィアン」が必要である――ラクラウとムフはそう唱えたわけです。「我々は99%だ」という号令はまさにこの「空虚なシニフィアン」の一例だとも言えるでしょう。スペインのポデモスは、このラクラウ=ムフ主義をその戦略として、隠すことなくはっきりと打ち出している政党です。党首のパブロ・イグレシアスはテレビの討論番組に出演するたびに、1%の「カースト」(特権階級)と99%の「私たち」という話を繰り返してきました。このポピュリズム戦略は最初の一年弱はうまく機能し、14年後半にはポデモスの支持率は二大政党のそれを抜いて30%にまで達しましたが、その後、彼らの反復する「空虚なシニフィアン」のその空虚さそのものが目立つようになり、15年半ばには13%にまで落ち込むことになりました。ポデモスのこの浮沈とは対照的に、15年5月の地方自治体選挙で躍進したのがバルサロナ・アン・クムーなどの市民候補者連立リスト型の勢力です。バルサロナ・アン・クムーは、ユーロ危機の下で失業するなどして住宅ローンが支払えなくなり住居からの立ち退きを強いられた人々を支援するグループ「住宅ローン被害者プラットフォーム」(PAH)を軸に組織された市民候補者連立リストです。PAHのリーダーとして知られ、リストの筆頭候補者となったアダ・クラウは、市議会議員選挙を経て、バルセロナ市長に選出されました(詳しくは『資本の専制、奴隷の叛逆』を参照下さい)。

「立場」を不問にした政治参加

編:廣瀬さんは安保法制反対運動について「運動の共和主義的転回」とおっしゃってましたね。

廣瀬:長谷部恭男がそのように指摘していました。「立憲主義」だとか「民主主義」だといったことが運動のスローガンになっていたけど、実際のところ、運動は立憲主義とも民主主義ともそれほど関係がなく、何よりもまず、共和主義的なものだったと。これは安保法反対運動についてもオキュパイ・ウォールストリートについても当てはまる正しい分析だと思います。人々はそれぞれの立場を自覚した上でその立場から個別的かつ具体的な利害を掲げて運動したわけではなかった。反対に、個々の立場を埒外においた上で、どんな立場にも立脚しない公的かつ抽象的な利害のために闘った。実際、SEALDsの人たちがあの時期に何度も繰り返し言っていたのは、自分たちはほんとうは学生であり、学生生活こそが自分の本分であると考えているが、その学生生活を無理に一時中断して、国会前に駆けつけてきている、学生としての私的生活を我が意に反して一時的にペンディングにし、公的な利益のための闘いに身を投じにやってきているということでした。

小泉:共和主義にははっきりと身分対立があります。政治に参加できる層と参加できない層がはっきり分かれる。古代から共和国は奴隷制のもとで成り立ってきた。で、いまの日本も奴隷制を含んでいる。マスターの下でのサーバント制、賃金奴隷制ですね。任期雇用にしても、江戸時代の年季奉公と同じです。現在は、20世紀以前の雇用形態にもどりつつあるだけです。

それはそれとしても、安保法制反対運動は、とりまきのインテリがひどすぎると思います。現在の政治的なパラダイムのなかで共和主義とか立憲主義とか、そういう話は学術的にいくらでもできますよ。でも、そんなところに対決線はない。

廣瀬:奴隷化が現代資本主義における「傾向」として認識されると、現状において資本によって労働者として扱われている者たちは、当然のこととして、自分だけは何が何でも奴隷に転落しないようにしなければと、おのれの労働に必死にしがみつくことになる。より精確には、傾向が相対的なものとして認識され、労働にしがみつくことが可能だと考えられている限りでは、労働者はその既得権益に執着する。必要なのは、したがって、傾向がその絶対性において認識されるということですが、労働者は奴隷化傾向のこの絶対性をおそらくは最後まで「否認」し、相対性を仮構し続けるでしょう。現状において資本によってすでに奴隷として扱われている者たちが、自分たちの利害に労働者を連座させ、多数派を形成するためには、現代資本主義における奴隷化傾向の絶対性(絶対的不可逆性、絶対的普遍性)を労働者が理解するという「奇蹟」を起こさなければなりません。

10年ほど前に、赤木智弘が「丸山眞男をひっぱたきたい」と題された論文のなかで「希望は戦争」と主張し、たいへん話題になりましたが、赤木のこの言説テロは、奴隷化傾向の絶対性を労働者に突きつける強力な試みのひとつだったようにぼくには思えます。赤木が奴隷の立場から「希望は戦争」だと言ったのは、戦争級のがらがらぽんがあれば、奴隷として扱われている者と労働者として扱われている者との交代があるかもしれないといった理由からのことでしたが、赤木がそう言うことで明るみに出そうとしていたのは、今日の資本制システムにおいては、そもそも、現状における労働者/奴隷の配分そのものが恒常的ながらがらぽん、偶然によって決定されているに過ぎないという事実です。赤木はオーヴァードクターの研究者だったわけですが、彼からすれば、現状において自分が非常勤教員で、他の誰かが専任教員であるのはたまたまのこと、偶然の産物に過ぎないということです。そのように述べることで赤木は、奴隷化の普遍性、その絶対性を、奴隷の立場から労働者に突きつけようとした。教員世界での専任/非常勤の配分決定の偶然性は産業資本主軸時代からすでに自明のことでしたが、その時代には教員世界や文化産業だけに見られる「例外」だったものが、金融資本主軸時代にはすべてのセクターに当てはまるものとして常態化し、普遍化し、規範化する。もっとも、赤木の議論についての以上のような解釈にはぼくが過度に読み込み過ぎているきらいもあり、赤木本人には、戦争があれば労働者になれるのだから自分は奴隷ではない、奴隷としての階級的自覚はもてないし、奴隷としての現時点での立場を否認する権利が自分にはあるとする側面が、なきにしもあらずですが。

小泉:個人でしかないわけです。労組を作れない。非常勤労組にしても、弱いものです。大学生であれば、就活に不断にさらされ、分断されて、階級意識を持つことができないまま自己責任にされている。非常によろしくない状態です。大学をどう変えたらいいかというと、常勤職の給料を分割すればいいだけのことです。身分・肩書はどうあれ、非常勤職でも少なくとも65歳までは雇用する。正規雇用の給料を下げて、ある程度の年収を非常勤にも保障する。では、そういうことを誰ができるのか。大学人は言わないですよ、絶対に。できるのは文科省しかないのです。大学は前衛党組織みたいなところでして、民主集中制が徹底していますから、安倍や文科省が変えると言えばすぐ変わりますよ。それ以外の道は徒労です。

それはともかく、いま非常勤の人を全て正規雇用化するのは無理に決まっている。同様に、ブラック企業がどうのこうのってワタミだけを攻撃しても仕方がない。総体として産業政策、経済政策をどうするのかって一生懸命考えなきゃならない。プランを作らなきゃいけない。それを誰が実行できるかと言えば、当事者の無産者しかいない。昔なら暴力革命で権力を取ってという話になったところです。いまはそんな状況にはないにしても、当事者のためのプランと実力が必要であると、問題はそういうふうにしか立たないと思います。

階級対立があるという認識から

ようやく始まった「政治の季節」

編:自分とは何者なのかをはっきりさせて、そこからものを言っていくのは第一段階だと思うんですよ。でも、われわれとしてビジョンを明確にして、それに沿って世の中に働きかけていくためには、味方は多いほうがいいし敵は少ない方がいい。そのときに自分たちがつながっていく原則は何かということが、いまのお話からはよくわからないのですが。

小泉:まず、運動の前面に、アンダークラスの人たちが出てきたことがないということがあります。運動の先頭に立っていない。非正規雇用で貧しい生活をしている層がデモの先頭に立つようになったら希望が持てると思っています。それができるようになるためには、階級的な原則を外部注入するしかないと思います。無産者は文化的に剥奪されていて、言葉を持っていませんから。前面に出てきてほしいけど、まだその段階になっていないので、ここでも、字を読む層に訴えているわけです。

非正規雇用でも、上司との関係でもめたり、メンタル面でもめたりして、結局は辞めていくんです。ブラック企業とちょっと闘った人でも、結局は辞めています。それにも理はあることはある。渡りが逃走=闘争になっている。でも、そういう層が安保法制反対運動の先頭に立てるようにならなきゃダメなはずです。しかも、敵を見切るようにならなければダメなはずです。それがどのような闘争になるかは見当がつきません。これからですからね。

編:対談の最後は、これからの社会変革の主体をどう見るか、という話でまとめてほしいと思うのですが。

小泉:それは形成されなければならないっていうことです。マルクスの時代に労働者階級はできつつあったけど、プロレタリアートとしてあらためて階級形成されなければならないとされていたわけです。それと同じことです。しかし、まず言っておかねばならないのは、闘争の主体たりうる層を客観的に社会科学的に規定することは、いまだやられていないということです。格差とか不平等というのは程度の差であって、改革ですむ話でしかありません。そういうことではなく、客観的な階級対立があるという認識から始めなければならない。

そこから、どうやって主体が形成されるかは、次の話です。そのために何が必要か、われわれはまだ何もわかっていないのです。だからこそ、これからが楽しいんです。ようやく楽しくなってきたんです。2015年は、多少は政治の季節になった年でした。ようやく始まったと言うべきなんじゃないですか。

廣瀬:アンダークラスに属していることが明らかな人々、若者によるいろいろな事件が日本では頻繁に起きています。しかも、それらの事件には往々にして実行者どうしのあいだに触発関係がある。「秋葉原の殺人事件に触発されました」というような。とりあえず、ぼくとしてはそこに希望の萌芽を見出しています。僕自身もそれで殺されてしまうかもしれないけれど、あの人たちに殺されるなら仕方ありません。バイトテロ(注:非正規労働者がアルバイト先での不謹慎な行為をネットで公開する)にも、ぼくは革命的な力の横溢を感じます。この点については既刊の拙著『暴力階級とは何か』(航思社)で論じました。

「社会保障」という名の統治

小泉:ずっとアンダークラスに期待をかけていますが、アンダークラスの統治はすでに一回成功したと思います。とくに日本では見事に成功しました。メンタルな医療とか、福祉とか、障害年金とか、まさに社会保障という名の統治が見事に成功している。当事者もそれをよしとしている。自立、自主管理、自己統治だと思っている。そこをどうするか。ほとんど抵抗すら見えてきません。現にある抵抗はメンタルなものとして、病気としてしか起きていません。行動化しても犯罪化する。それでよいのですが、それだけではどうもな、という気持ちはやはりあります。

廣瀬:現象としては「ミクロファシズム」のロマン主義的再コード化を伴ってしまう。これを避けて脱コード化の線を辿るのは、ミシェル・フーコーも言っていますが、ほんとうに「一生かけて考えなければならない」ほどの至難の業だと思います。しかし、他方で「一生かけて考え」ている場合ではない、そんな時間は自分にはない、そういう人もたくさんいるだろうし、彼らを責めることは誰にも許されない。アンダークラスに属する人々によって実行されるさまざまな犯罪のなかには転覆的な呼びかけが必ず書き込まれており、その呼びかけをしっかり読みとり受けとめる人々が必ずいる。そしてそうした人々がまた、それぞれの仕方で脱コード化の線を辿ろうと実践に身を投じる。今日、少なくともそうしたことは起きています。

小泉:企業でもね、そんなクソ会社、うんざりですっていう言葉を注入することから始まると思います。「これ変でしょ、腐ってるでしょ、狂ってるでしょ」と。普通に労働疎外ですよ。人間疎外です。疎外論でいいから、まず注入してやらないと。まるでマルクスの時代ですよ。エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』みたいなものをインテリはちゃんと書かなくちゃ。

廣瀬:ルイ・アルチュセールはそのマキャヴェッリ論のなかで「情勢の下で思考する」ということの重要さを唱えていましたが、今日の日本語環境に決定的に欠けているのはまさにこれです。情勢の下で思考するとは、今日の階級構成をその客観性および主観性において分析し、その分析によって析出された物質性に深く根差した仕方でコミュニズムを構想するということです。社会の物質的構成の分析、階級構成の分析が日本語環境でもブームになるとよいのですが。図々しいことを言わせてもらえば、安保法反対運動についてもアベノミクスについても、ぼく自身が書いたもの(『暴力階級とは何か』所収)以上に面白いものをぼくは少なくとも日本語ではひとつも読んだことがありません。これは嘆かわしいことです。

自分の思想を自前で立て直す時代

「自力でやっていく」という貧者のプライド

編:アンダークラスの側に徹底して立とうという学者さんが、ほんとうに少なくなっていますよね。

小泉:数えるほどですよ。社会的な排除に対する「社会的包摂」なんていう言葉を恥ずかしげもなく使うような人ばかりですからね。そんなことは菊池桃子だって言う時代なのに。しかも包摂はいろんな所で現に終わってる。遅すぎですよ。しかも、社会的包摂なんて上から目線です。そんなことを言うのは恥ずかしいという感性すらない。菊池桃子が言うのは許すけど。

編:アンダークラスの側に立ちきるというお2人の姿勢は何に由来しているのでしょう。

小泉:ぼくは北海道の国鉄労働者の息子でして、福祉も医療もない時代の貧困者を身近に知っていました。当時の国労はいわばプロレタリアートのエリートですけど、周りは貧困地帯でしたから。ぼくは、貧困者のプライドというか、貧困者は自力でやっていくっていうことがわかる。そういう感覚をずっと持っています。そういう観点は失いたくない。それが出発点ですから、政治経済の領域では、端的に大学人やインテリが嫌いなんです。

あと、昔のプロレタリアートの気風、左翼の作風、悪口の言い方、暴力への対応の仕方、あの程度で暴力って言うなよ、とかね。そういうことをキチンと伝えたいと、ある時期から思っています。

廣瀬:ぼくは勉強によってですね。勉強すればひとは必ず左翼になる。右翼とか保守の学者というのが世界中どこにでも存在していますが、彼らは端的に言って勉強が足りないからそうなっているだけです。

小泉:廣瀬さんの場合は、フランスへの留学が大きかったのでは?日本に闘争がなかった時代に学生だった世代にとっては、そうじゃないかと思って。国内の運動は、この間ずっと思想的な芽生えを伸ばすような運動じゃなかったし。

廣瀬:ぼくが留学していた時期のパリは、確かに、同時期の日本に比べると、左翼になること、左翼でいることがずっと容易い場所だったと思います。

小泉:大学闘争を知っている世代が歳をとって、その下の世代はフランス留学組に支えられたんです。左翼の傾向を継いだのは、広い意味でのフランス現代思想でした。それが21世紀に入って、フランス現代思想が問い直さなければいけない時期にきています。だから難しくもなっているし、面白くもなっている。廣瀬さんも、これから困難な問題に出会っていくことになると思いますね。

編:フランスと言えば、廣瀬さんが最初に言われた、もはやフランスの知識人に興味はないっていうことには共感されますか?

小泉:そう思いますね。もちろん、ヨーロッパの若手も苦しんでいると思うんですよ。いままではフランス現代思想、広い意味での左翼の思想でものを考えて語っていればよかったのに、それだけでは分析できない事態が生じているんですから。デリダを使ったから、ドゥルーズを使ったから、フーコーを使ったからって、それがどうしたっていう事態になっている。自前で考えなくちゃいけなくなってきて、悩んでいると思いますよ。なかには、非常に単純な行動主義者になって、とにかくストリートに行けばいいとアジる元気な人も出ていますが、それはそれでいいけど、もっと苦しんで考えてくれなきゃと思います。ぼくはもう、プロレタリアートの息子だって言いながら、疎まれながらも、いばって死んでいくつもりしかないのですが。

編…今日のお2人のお話を、自分自身のものの考え方を自前で立て直さなければならない時代にきている、というあたりがメインのテーマかなと思いながら聞かせていただきました。われわれも、「人民新聞」という立ち位置で自分のものの考え方を立て直しながら、アンダークラスの側から状況を撃つ言説を放ち続けたいと思います。(終わり)

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